私の身の上話(劣等感克服編) パート1
今回も地獄の説明をしようと
土中地獄について
書き始めたところ
「希望を与えられるようなことを
書いてあげてくださいね」
と、天界からインスピレーションで
釘を刺されましたので
違うことを書いてみます
とは言うものの
ん~・・・・困った・・・・・・
何も思いつかないんで
私の身の上話でも書いてみましょう
退屈な部分が多いかもしれませんが
よろしければお付き合いください
私は子どもの頃から比較的
「人間として正しい行い」
を意識し行動する面がある一方
年がら年中ふざけて
友達を笑わせ
先生たち周りの大人からは
「不真面目で人生を舐めた奴」
そんな目で
見られていたように思います
昭和真っ只中の当時は
真面目こそが至上の価値観で
何をやるにも眉間に皺を寄せ
クソ真面目に取り組むのが正しい
と考えられるご時世でしたから
私みたいにジョークを連発する子どもは
世間から冷たい目で見られるのが
普通だったんだと思います
今聞くと
腰抜かす人がいるかもしれませんが
私が子供の頃は
漫才師がステージで
ニコニコ笑顔で漫才してると
「真面目にやれーーっ!」
とヤジが飛ぶこともあったんです・・・・・・
ほんまかいな~ ( ఠൠఠ )
どこまで真面目が好きなんだよ昭和人は
と、思うでしょ?
とりあえず
当時の日本はそんな世相でした
私が幼稚園か小1の頃・・・・・・
ハッキリと覚えてないんですが
給食のパンに時々
甘いクリームが少し乗っかったものが
出てきてたんです
ですが貧しい昭和ですから
クラス全員には
クリーム付きパンが行き渡らず
30人程度のクラスに
クリーム付きは10個くらい
後の20個は、ごく普通のパン
こんな感じでした
きっと
給食の経費が少しでも浮くと
子どもたちに
甘いものを食べさせてあげよう
と給食センターの方たちが善意で
そうしてくれたんだと思いますが
いかんせん
数が足らない
2年間くらいでしょうか
そんな状態が続きましたが
結局私は一度も食べられなかったんです
給食当番になると
ある程度の融通が利きますので
自分にクリーム付きパンを
もってくるのは可能だったんですが
あくまで私はルール通り
先頭から順番に配ることに拘り
順番飛ばしてクリーム付きパンを
自分のところに持ってくる
なんてことが
どうしてもできませんでした
ですが私以外の子は、全員
給食当番になると
真っ先にクリーム付きを自分の机に
配っていたのを覚えています
私はそれが
どうしてもできませんでした
やりたくても
クリーム付きが食べたくても
やると人間としての格が
落ちてしまう
そう思えてならず
できませんでした
今にして思えば
大人たちの善意とは言え
残酷な給食でしたね
こんな私の堅物な一面は
大人たちに見えなかったようで
教師たちから私は要注意児童として
いつも色眼鏡で見られていたのを
ハッキリと記憶しています

ですが私は挫けませんでした
ジョークの何が悪い?
僕はそんな人間なんだよ~ん
そんな感じで
大人たちの冷たい視線等
全く意に介さず
ひたすら自由に生きていましたが
友達付き合いの中で
少しづつ劣等感を心の奥深くに
重ねていったようです
だって誰も私のように
自由には生きてはいませんでしたから
周りの友達や大人たちに
白い目で見られると
皆、真面目に振る舞うんですね
陰では私と同じにふざけてる友人たちも
そうでした
私だけです
そんなの気にせず
常にふざけて面白おかしく
生きてたのは
要は
私みたいな子は浮くワケですね
当時の世相では
パート2に続く
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